公益財団法人
日本レクリエーション協会について

協会の歩み

  • 第1回 レクリエーションの礎

    ○日本レクリエーション協会のなりたち

    昭和20年代から30年代半ばの日本は、第2次世界大戦の敗戦により、暗雲の時代を過ごします。アメリカの占領下におかれながら、復興への道のりを歩んでいきます。

    終戦翌年の昭和21年(1946)9月、日本厚生協会は文部・厚生両省の共管する「日本厚生運動連合」に改められます。翌昭和22年(1947)年には、石川県金沢市で最初の「全国レクリエーション大会」が開かれました。その際、「日本レクリエーション協議会」が結成され、昭和23(1948)年3月、文部省の所管する「財団法人日本レクリエーション協会」が誕生しました。

    当時は、フォークダンスを中心にレクリエーション活動が普及していきました。そこには、戦後の民主主義と男女平等を定着させるという意図がありました。

    ○第1回全国レクリエーション大会開催

    第1回全国レクリエーション大会は、昭和22年10月27日から29日石川県金沢市において開催されました。この大会で関係者の間で協議された内容は以下の通りです。

    ①県市町村および職場にレクリエーション組織をつくる
    ②全国組織を整備すること
    ③レクリエーション運動を普及推進すること

    以上3点の協議結果は、国土復興計画と関わって、政府へ5か条からなる建議を提出することにいたりました。

    その後、昭和25年(1950)7月、第4回全国レクリエーション大会(帯広)に初めて三笠宮崇仁親王殿下が参加され、大会総裁に就任されました。

    ○レクリエーション運動のうごき

    財団は設立されましたが、事務局は財政が乏しく、法人の認可を受けるための資金集めに苦労をしました。その際、三笠宮崇仁親王殿下自らからも基本財産の一部を賜りました。

    昭和24年(1949)、東京都小金井市で、「第1回レク指導者養成中央講習会」を開催させます。そして、昭和26年(1951)10月に三笠宮崇仁親王殿下が日本レクリエーション協会総裁に就任されます。

    日本レクリエーション協会発足時の任務は下記の通り。

    ①レクリエーション運動の推進
    ②加盟団体すなわち都道府県レクリエーション団体の育成
    ③指導者の養成
    ④全国大会の開催
    ⑤財政の確立

    地域に密着したレクリエーションを啓発するためには都道府県レクリエーション協会との連携体制の構築が急務となり、昭和29年(1954)11月8日に「全国都道府県及び5大市レクリエーション協会会長会議」を開催し、地域団体との新たなネットワーク作りに着手しました。

    昭和35年(1960)3月には、「日本レクリエーション協会報(4ページ)を発行、情報提供を始めました。その後、昭和39年(1964)3月に「レクリエーション研究懇談会」発足させます。最初の懇談会には日本レクリエーション協会総裁三笠宮崇仁親王殿下の出席を賜り開催しました。この懇談会はのちに、レジャー・レクリエーション学会発足への足がかりとなりました。

  • 第2回 レクリエーションの発展

    ○レクリエーション指導者の養成

    戦後の混乱期にスタートした、「レクリエーション」も、10年一区切りとすると、昭和40年代は協会の発展期と位置づけられます。その間、日本の経済成長は目覚しく、激しい社会の動きのなかにあり、国民のレジャー・レクリエーションに対する欲求や価値観も多様化し、大きく変わりました。

    この時期のレクリエーションは、地域レクリエーションの振興とともに、職場レクリエーションの発展が著しい時代でした。昭和38年にスタートした「レクリエーション学苑」は年々増え続け、10年で延べ約16,000人の受講生を輩出しました。大手企業の委託を受けた講習会も長期に渡り、開催しました。しかし、昭和49年の第1次オイルショックに伴い、一時的に依頼が減少していきますが、レクリエーション研修の講師依頼は増え続けていきました。

    地域における指導者の養成も活発になりました。昭和42年度より文部省、日本レクリエーション協会と地域で実技の指導者養成を行いました。その後、よりレベルアップした指導スキルを求める声により、指導者検定規程が整備され、昭和48年6月に、2級・1級・上級指導者の3段階制度に改訂を行いました。その新制度に伴い、レクリエーション指導者像を以下のように取りまとめ、さらなる発展を目指すようになります。

    (1)2級指導者
    指導者としての専門的な教養と自覚を持ち、ゲーム、歌、踊りなどの方法によってグループを盛り立てることのできる人である。

    (2)1級指導者
    より専門的な教養を身につけており、レクの場における指導能力だけでなく、グループづくりの計画や運営についても識見をそなえている人である。

    (3)上級指導者
    単にグループを守り立てるだけでなく、グループの計画や運営をすすめ、当該地域の人々の需要に応じた組織づくりをも進める識見をそなえた人である。すなわち運動の推進者として充分な資質を持った指導者である。

     

    ○レクリエーション組織の拡大と普及

    昭和42年4月、日本レクリエーション協会と地域協会の連携協力体制の整備を目的として、初の各都道府県レクリエーション協会の事務局担当者会議を開催しました。活動事例の発表や、レクリエーション運動の現状と未来について議論が交わされました。

    また、全国レクリエーション大会は、第20回大会(昭和41年)から新たにレクリエーション運動の功労者を表彰する制度を定めました。これは、レクリエーション運動振興のために、長年にわたり多大な尽力をされた方々を功労者として表彰するものです。

    ○レクリエーション用具の発展

    昭和40年代に入り、日本レクリエーション協会はレク関係書籍やレクソングのレコードなどの出版事業を行うようになり、本格的にレク用具の普及と用具の販売を行うようになります。

    また、昭和49年ごろ、職場で簡易スポーツが活発になり需要が拡大したことで、レクリエーション用具推薦委員会を発足させ、簡易スポーツ用具を中心に、すぐれたレクリエーション用具の審査と推薦を行い、レクリエーション用具の普及拡大に舵を取るようになりました。

  • 第3回 地域レクリエーションに向けた基盤整備

    ○職場レクリエーションから地域レクリエーションへの転換

    昭和50年代は、第一次オイルショックに伴う職場レクリエーションの衰退から方向転換の時代に突入します。地域へ目を向けた社会のニーズの高まりとともに、地域のレクリエーション講習会への講師派遣の要請も増え続けていきました。

    この時期、健康づくり運動の期待が高まり、その期待に応えるべく30歳~50歳代の働き盛りの男性サラリーマン約1300名を対象に実施した余暇生活調査によると、健康づくりにレクリエーションが期待されていることが裏づけられる回答が寄せられました。その結果、「みんなのスポーツ・レクリエーション」の運動が強調されるようなり、昭和54年(1979)の日本レクリエーション協会の「事業計画および協会運営についての基本方針」に「みんなのスポーツ運動への取り組み」が明確に打ち出されました。

    また、同時期にはドイツ生まれのインディアカを普及するために、「インディアカ振興会」の結成、ゲートボールの統一ルールの検討会として「ゲートボール懇談会」が開催されるなど、誰でも楽しめるニュースポーツの普及への取り組みも積極的に行われました。そして、新たな取り組みとして、ウォークラリー大会やGSD(ゲーム・ソング・ダンス)ジョイントセミナーの開催や「みんなのスポーツシリーズ」としてニュースポーツの解説書が出版されるなど、書籍の発行も積極的に手がけていきました。

    ○組織のさらなる活性化

    昭和56年(1981)11月、愛媛県レクリエーション協会が発足し、47都道府県すべてにレク組織が位置づけられました。同時期には、都道府県単位から身近な日常生活圏である市町村レベルでの運動組織の結成について、積極的に議論されるようになります。昭和56年(1981)5月には、横浜市レクリエーション協会が市町村で初めて法人格を取得、同年7月に八王子市レクリエーション協会が事務局を独立させ、市民向けの事業を柱として自立を図ったことが話題になりました。

    ○新しいレクリエーション指導者養成を求めて

    昭和55年(1980)12月、日本レクリエーション協会は「レクリエーション指導者養成のための大綱」を制定しました。

    この大綱では、レクリエーション指導の構造を、レクリエーションを可能にするさまざまなレクリエーション財と、レクリエーションを行おうとする主体者との間に立って両者を結びつけると提示し、「援助」という視点から、素材の提供、技術の指導等、カリキュラムをまとめていきました。

    昭和58年(1983)に、大学・短大や専修学校、またそれに準ずる都道府県レク協会が設置する教育機関で、日本レク協会が定める基本カリキュラムと担当教員によって行われる講座を修了した学生に、レク指導者資格を与える制度として「レク指導者養成Ⅱ類」を発足させました。このⅡ類はその後、「レクリエーション指導者養成課程認定校」と名称変更をしています。

  • 第4回 昭和から平成へ

    ○レクリエーション資格の大きな転換期

    昭和62年(1987)年、日本レクリエーション協会では指導者資格の整備を行い、第9回全国レクリエーション指導者研究協議会に、新指導者養成カリキュラムの基本的な考え方と大枠を提案しました。翌昭和63年(1988)1月には、「レクリエーション指導者養成のための大綱」を改訂し、翌年に「指導者検定規程」も改訂、さらに、「新大綱」の基本的な考え方に基づいて、指導者養成カリキュラムも一部改訂を行いました。しかし結果として、文部省がすすめる社会体育指導者認定制度への移行へ舵を取ることになり、指導者資格制度を抜本的に改訂することになります。

    日本レクリエーション協会が指導者資格の整備を行うと同時期の昭和61年(1986)、文部科学省の保健体育審議会がスポーツ指導者の民間資格の一本化を目指して「社会体指導者認定制度案」を策定します。日本レクリエーション協会では、数年間にわたる交渉を行い、共通的指導の枠組みに「レクリエーションに関する指導者」が加えられました。その後、平成5年(1993)、4月1日付けで文部科学大臣認定社会体育指導者の知識・技能審査事業「レクリエーションに関する指導者」の事業認定団体として正式に認定を受け、「レクリエーション・コーディネーター」資格が誕生します。また、文部科学大臣の事業認定制度の開始に伴い、現行の3階梯の「レクリエーション指導者」からレクリエーション・インストラクター、余暇生活開発士などを含む6つの資格制度に改変し、「人材養成マスタープラン」と「公認指導者資格認定規程」を正式に策定しました。

    ○ニュースポーツの発展

    「ニュースポーツ」という言葉は、昭和50年代ごろから使われるようになった和製英語で、20世紀後半以降に新しく考案・紹介されたスポーツを意味します。

    そのような時代の流れを受け、昭和63年(1980)に第1回「全国スポーツ・レクリエーション祭」が山梨県で開催されます。これは、文部科学省と開催地度道府県、日本体育協会、日本レクリエーション協会が主催する生涯スポーツの祭典として開催されました。こうした動きを受けて日本レクリエーション協会は、平成元年(1989)に「コミュニティ・スポーツ‘89」と名づけた独自のスポーツイベントを大阪府、愛知県、茨城県の3ヶ所で実施します。その後、ニュースポーツ団体の活動が活発になり、多くの種目団体が日本レクリエーション協会の維持会員として加入するようになります。この動きは都道府県レクリエーション協会にも波及し、各地域のニュースポーツ団体が積極的にレクリエーション協会に加盟申請をするようになりました。

    平成3年(1991)にコミュニティ・スポーツ大会は「ニュースポーツ大会」と改称し、全国を3ブロックに分けて2日間で開催するまでに発展しました。

    さかのぼること平成元年(1989)、文部省組織変更が行われ、スポーツ課が「生涯スポーツ課」と「競技スポーツ課」に分かれ、日本レクリエーション協会は生涯スポーツ課の管轄となります。レクリエーション協会は生涯スポーツの統括団体として位置づくことになります。その後平成5年(1993)、特定非営利活動法人の認定を受け、これまで維持会員だった種目団体を日本レク協会の加盟団体とする事になりました。

    ○福祉領域でのレクリエーションの認識の向上

    日本レクリエーション協会は、昭和49年(1974)、「高齢者レクリエーション・ワーカー養成セミナー」を開始し高齢者のレクリエーション援助に関するレク技術の伝達を行ってきました。その後、高齢者福祉領域におけるレク・ワーカー養成事業や、身体障害者福祉領域におけるレクリエーションへの認識の向上などが結実し、昭和62年(1987)制定の「社会福祉士及び介護福祉士法」の中の介護福祉養成指定科目として、「レクリエーション指導法」が導入されました。

    この法律の制定によって、社会福祉領域におけるレクリエーションは、国家資格者である「介護福祉士」が身につける知識・技術として位置づけられました。

  • 第5回 協会設立50年からの再スタート

    ○緊急総合5カ年計画策定

    レクリエーションの新たな方向性を示すため検討されていた21世紀ビジョンを基に、平成8年(1996)2月から3月にかけて、東京、愛知、大阪、福岡の4会場で総裁寛仁親王殿下の御臨席を得て、「プレ・サミット」が開催されました。そこでは、レク運動50年の総点検を行うとともに、今までの人材養成を主体とした事業形態からの方向転換の声が上がり、レクリエーション運動推進のための人材、組織、事業はいかにあるべきかが検討されました。その成果をもとに、9月に開催された第50回の全国レクリエーション大会では「レクリエーションサミット」を設け、全国の都道府県レクリエーション協会会長はじめ、領域・種目団体の役員も交えて討議を行い、「レクリエーションサミット共同宣言」をまとめ、今後のレクリエーション運動のあり方として提起しました。その実現に向けて、平成9年(1997)6月には、新しい時代に即応するための「緊急総合5カ年計画」が策定されました。

    「緊急総合5カ年計画」の目標を「市民に多様で多彩、そして健やかな遊びの機会を市区町村で提供する」と定め、その機会を提供する組織として日本レクリエーション協会をはじめ、都道府県、市区町村レクリエーション協会は大きな変革を求められました。その後、平成14年(2002)にレクリエーション運動が直面する諸課題と5ヵ年計画の残された課題を踏まえた、新中期計画を作成し、平成15年(2003)度より3年間にわたる事業展開が図られました。

    ○公益性を高める事業を促進

    緊急総合5ヵ年計画で柱の1つであった、“市民サービス型事業”は、都道府県、市町村レクリエーション協会が市民のニーズにマッチした事業展開後目指しました。その後、平成15年に作成された中期計画に引き継がれ、「公益性を高める」事業を展開できる事業体化に向けた支援方策が提案されました。

    また、平成16年(2004)から「地域子ども教室推進事業」を受託し、全国133箇所で「あそびの城」事業をスタート。「子どもの体力向上キャンペーン事業」ではダンス・エクササイズ「アイーダ アイダ」を制作し、平成17年度より普及に向けスタートを切りました。同時期に「全国一斉ウォークラリー大会」がリニューアルして、全国一斉「あそびの日」キャンペーン事業がスタートするなど、大きな事業転換の時期を迎えます。

    ○広報PRの転換期

     時代の流れから、インターネットの普及が顕著になり、平成10年(1998)11月に日本レク協会ホームページを開設。これまで情報提供の手段は月刊「REC」、専門情報誌や都道府県、市町村レクリエーション協会が発行するニュースレターに限られていましたが、指導者に限らず多くの人たちにレクリエーションの情報を提供することを目指して、スタートしました。時代の流れもさることながら、平成17年(2005)度末には、公認指導者数が延べ13万人を越え、課程認定校の講座数も472と講座となり、歴史上まれにみる人材を抱えることになったのも、ひとつのきっかけであったようです。

  • 第6回 これからのレクリエーションに向かって

    ○レクリエーション指導者カリキュラムの改訂と新しい資格の誕生

    今からさかのぼること約10年前、レクリエーション・インストラクターのカリキュラム改定が行われました。特に、新たに位置づけた“レクリエーション支援”“レクリエーション支援者”という言葉の理解と浸透に重点を置き周知を行いました。その10年後(平成28年)、さらに改訂を行います。大きな改訂内容はレクリエーションという言葉の主旨(目的)を『人の心を元気にする』と定めたことです。ともすれば混同されてきた主旨を、それを実現するための手段である『レクリエーション活動』としっかり区分することにより整理されました。

    また、平成29年(2017)年6月、新たな資格が誕生しました。『スポーツ・レクリエーション指導者』です。スポーツ・レクリエーション指導者は、レクリエーション・インストラクターと同様、レクリエーション活動の楽しさをしっかりと理解したうえで、その楽しさをとおして人々が心を元気にできるように手助けすることを目ざしています。また、スポーツ未実施者の掘起しとスポーツ・レクリエーション活動への参加及ぶ継続的な実施への促しを通じて、健康の保持・増人を進める役割も担っています。

    このように、レクリエーション・インストラクターの学習内容を見直し、新たにスポーツ・レクリエーション指導者資格の誕生、と資格制度が大きく変換した時代でした。

    公認指導者の皆さんが、レクリエーション誌縁の経験を重ね、実践力を高めていきながら、後進の育成の役割を担っていく。そうした生涯にわたって学び続けることができる仕組みの整備を進める予定です。

    ○公益性を高める事業とスポーツ基本法

    平成18年(2006)公益法人制度改革関連3法案が成立したことで、日本レクリエーション協会も公益財団法人への移行準備が行われるようになります。そこで、公益事業として①レクリエーション運動の担い手(公認指導者等)の育成、②公認指導者の活動促進を通じたレクリエーション運動の推進、③レクリエーションの普及啓発による社会への貢献という3つの柱をすえ、事業展開を図ります。また、平成23年(2011)、スポーツ振興法が50年ぶりに全部改正されました。これにより、平成24年(2012)3月、「スポーツ基本計画」を策定されました。

    日本レクリエーション協会では、さらなる公益性発揮するとともに、スポーツ基本計画に基づき、スポーツ振興事業の啓発を複数担うようになります。

    ○震災支援とレクリエーション・広報活動

     平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が発生しました。この災害では、阪神淡路大震災時のレクリエーション支援を参考にしながら、高齢者や子どもたちへの支援活動を実施しました。5年間の支援活動は、約2500回を越え、延べ1万人の公認指導者が約5万人への支援活動を実施しました。このノウハウは平成28年(2016)4月に発生した熊本地震へと引き継がれています。

     また、平成25(2013)年、「Smile for all」のスローガン・ロゴマークを発表します。このロゴマークはレクリエーションの合言葉・マークとして親しまれています。